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「今はまだ人生を語らず」という考え方もありますが、このごろ、生き方について
考える時間が増えてきた
ような気がします。
少しずつですが、自分の考えを整理していきたいと思っています。
わかりやすく書けないかもしれないけど、よろしかったら読んでみてください。
◇自分を楽しんでいますか?
「自分を楽しんでいますか?」
最近、この言葉が、気に入っています。
公私ともに、自分を楽しめないと、周りの人を、ハッピーにできないですよね。
若いときは、がむしゃらに走り続けたし、その時、その時、楽しかったけど、
今、思うと、その時間や、その事象を楽しんでいたのであって、自分を楽しみきれていなかった、
と思うようになりました、近ごろ。
自分を楽しむ、というのは、文字通り、楽しい瞬間の自分のことでもあるけど、
最近、だいじにしたいな、と思うのは、むしろ、何かのイベントの中にいない時の自分です。
休日の午後、ひとりでコーヒーを飲んでいるときの自分だったり、、、、、、。
ずっとずっと先の自分を空想して楽しんでいるときの自分だったり、、、、、。
ま、こんなふうに、自分を楽しむ余裕が出てきたのも、無駄ではなかった年月を経たおかげなのかも
しれませんね。
◇幸せの意識
日々の生活の中で「幸せ」を意識して暮らしていますか?
僕は、年々、小さな「幸せ」を感じることが多くなりました。
そんな自分のことが、少しずつ「幸せ」だと思えるようになりました。
あたりまえのことだけど、結婚したこととか、こどもができたこと、だけが幸せじゃないですよね?
うまくことばで言えないのだけど、幸せって、何かのイベント(事象)だったり、特別な時間のことを
指すんじゃないんだと思う。 最近、ますます、そう思うようになりました。
そういう意味で、幸せって、自分のこころの状態のことかな、って考えたりします。
何か特別なできごとがあるわけではないのだけど、少し高い視点からもうひとりの自分を見たとき、
安寧な自分が見えたりします。 これは、その瞬間じゃなくて、「このごろ」だったり「この1年」だったり、
比較的 長いスパンでの自分のことです。
そうかと思うと、休みの日、近くの山の中や海辺を歩いていて、きれいな花を見つけたり、なかのいいリスの
親子に微笑んだり。 とても懐かしい気持ちにさせてくれる、大きな大きな夕焼けに包まれたり。
こういう時間の流れとか、自分のこころとか、自分のまわり、ぜ〜んぶ、幸せだなぁ、と感じたりもします。
ささやかなこと(もの)かもしれないけど、こんな感じも、じっくりと味わうことができるようになりました。
環境も、健康状態も、時間的な余裕もたいせつなことだと思うけど、やはり、たいせつなのは、こころの持ち方
なのだと、改めて思うようになりました。
◇内面的なことを見つめていますか?
最近、ある神父さんに、ある方のエピソードをうかがいました。
その方は、バラの花を見て涙が止まらなくなった時、バラの花の美しさに感動したからではなく、
「自分は(バラの美しさを通して)こんなにも神様に愛されている」ということを実感されたそうです。
すなわち、バラの花の外見の美しさではなく、神に愛されている「内なる自分」を実感したからこそ、
涙が止まらなかった、というわけです。
クリスチャンの方にとっては、あたりまえの話なのかもしれません。
僕は、クリスチャンではないので、細かい解釈の部分でまちがっているかもしれませんが、とても印象的な
お話でした。
みなさんは、何に涙しますか? 映画や小説に涙することもあるでしょう。
その時って、何で涙が出るんでしょうね?
もしかしたら、内なる自分に接しているからなのかもしれませんね。
涙まで流さないにしても、ほんとうの自分に出会える瞬間、ほんとうの自分を取り戻せる瞬間って、どんな時ですか?
大きな大きな海と青い青い空を、自分の心を通して見たときは、どうですか?
家への帰り道、夜空に広がるいくつもの星を眺めて、思うことは何ですか?
まったくの余談ですが、、、、、
ぼくは、意外にも、(自分がかかわった)CMの試写を見て、涙ぐむことが多いんです。
別に、それまでの苦労が頭をかけめぐって、じ〜んと来るとか、そんなじゃないんです。
ただただ、涙がじわ〜っとわいて来るんです。
これって、僕が、広告の神様に愛されてるから?って、マジに考えたりしました。
(ちょっと考えすぎかな? かなり考えすぎですね。)
◇感謝の気持ち
毎日の生活の中で、感謝する瞬間ってありますか?
その瞬間は、めったにないですか? それとも、毎日のように訪れますか?
僕は、このごろ、まわりの人だけでなく、自分の環境とかこころの状態に、感謝することが多くなりました。
極端な話、今日まで生きてこられたことに感謝です。
こういうコトを考えるようになれた、これまでの人生に感謝です。
そして、日々、街で出会った小さな親切や、周りの人のささやかな心配りにも感謝です。
「感謝」の先にあるものが「幸せ」だったりすることって、多いような気がします。
「感謝」の瞬間そのものが「幸せ」だったりすることもあるのでは?
少しだけ「感謝」のセンサーを強くしませんか?
いいことしか起こらないような気がします。
◇大きな視点で見てみたら、、、
大きな視点で見てみたら、時間や、人生や、人と人のつながりっておもしろいですよね。
僕がこの文章を書いている瞬間に、生まれてくる赤ちゃんがいて、初めてキスした若い二人がいて、
結婚式をあげてる二人もいて、魚を獲ってる人もいて、ボランティアをしている人もいて、全速力で走っている人
もいて、、、、、、、。 同じ時間に、同じ空の下で、たくさんの人が、いろんなことをしている。 いろんなことを
考えてる。 笑ってる人がいれば、この瞬間、泣いてる人もいる(明日になれば逆になってるかもしれないけど)。
僕たちにも、一生のうちで、いろんな瞬間が訪れます。
そして、いろんな人に出会います。
一生のうちで、会うことができる人は、ほんの一握りでしかないけど、こんな瞬間、瞬間の中で、人と人との人生が
クロスするのだとしたら、これは、とても、おもしろいことですよね。
このクロスが、ほんとに短い人もいれば、いっしょに暮らすようになる人もいる。 何十年も、かけがえのない友だちで
いることもできる。
時には、こんなふうに、あなたと誰かのつながり、まだ見ぬ誰かとの出会い。
そして、一生、出会わないかもしれない人のことを考えたりしてみませんか。
◇細部に神は宿る。
「Number」(592/サッカー特集)の岡田Fマリノス監督インタビューを読んでいて、すてきなフレーズに出会いました。
「細部に神は宿る」
しばしば細部は目に見えないけど、勝負の分かれ目は、その細部で決まる、という主旨です。
自称ストイックな僕は、一瞬で、この言葉に共感してしまいました。
そう、目に見えることもたいせつかもしれないけど、目に見えることは、目に見えていないことで決まることも多い。
目に見えないことは、決してむだなことじゃないんだ。
日ごろから、けっこう、そんなふうに考えているから。
これは、何も仕事に限ったことじゃなく、公私の「私」でも言えること、でしょ。
いや、むしろ、「私」の部分の「目に見えないこと」をたいせつにすることの積み重ねが、人間力を高めることなの
かもしれませんね。
「目に見えないこと」をたいせつにしている人が、報われる時代、社会であってほしいな、とほんとうに思います。
あなたにとって、たいせつにすべき「細部」、「目に見えないこと」って何ですか?
あなたは、それを、たいせつにできていますか?
◇健康のこと、こどものこと
上の娘は生まれつきの重度の喘息で、小さいころはたいへんでした。
県立の小児科専門の医療センターで専門的な治療を受け、入院もしょっちゅうの状態でした。
でも、この病院は、重度の患者さんが多く、病院の中に学校まで併設されていました。
だから、生まれてから、病院の中で成長し、病院内の学校に通い、ほんとうに悲しいことですが、
自分の家で暮らすこともなく、病院の中で亡くなる。 そういうお子さんもいらっしゃるわけです。
人が、自然に与えられたもののたいせつさに、気づくことって難しいですよね。
たとえ、気づけたとしても、その気持ちを持ち続けることって、もっと難しいですよね。
健康やこどもも、そのひとつかもしれません。
僕たちが、当時、娘のことで悩んでいたとき、自分(親)より(確実に)早く亡くなるお子さんをお持ちの
お母さんに「がんばってくださいね」と励まされたと、家内に聞きました。
僕は、自分が、ほんとに小さく思えました。
おかげさまで、娘も大きくなり、喘息もかなりよくなりました。
僕も、その後、足の骨折や鼻にできたポリープの手術で短い入院生活を送ったりしました。
こどもをたいせつに思う気持ち、健康に感謝する気持ちを、今でも強く持っていられることに感謝です。
だからと言って、僕に今できることは小さなことでしかありません。
街角の募金活動や、ボランティアの支援とか、献血とか、今はまだ。
でも、娘が、自然にボランティアに興味を持ってくれたことは、親としても、とてもうれしいことです。
どこまでがんばれるのか、見守っていこうと思いますが、最近、点字を勉強しています。
◇伊勢 正三 さん
僕は伊勢 正三さんが大好きです。「伊勢 正三さんが好きだ」と言うと、よく言われるのは、「22才の別れ」とか
「なごり雪」とか、かな〜り昔の曲ばかり。
ま、それは、それでしかたがないのだけど。 まぁ、それは、それで、いいんだけど。
世の中の人が、最近の彼の曲を聞いてはいないだろうけど、いいんですよ、コレが。
けっこう、僕の「いきかた」のヒントがいっぱい詰まっているんですよ。
たとえば、
「小さな夢を手に今があることを幸せだねと思えることが幸せ」 とか、
「心のバネがもっとしなやかになるように」 とか、
「つまんない日あっても、明日への散歩道」 とか。
他にも、直接的なことばでなくても、僕の生き方を見つめ直すきっかけとなったエッセンスが、ほんとにたくさん
彼のフレーズには、あふれているんです。
彼は、ほんとうに、いい歳のとり方をしてきたんだな、ということがよ〜くわかります。
ささやかですですが、僕も、少しだけ、いい年月を経てきたんだな、と彼の曲を聴いてて、確認できたような
気がします。 癒しという表現じゃないな。 安寧な気持ちにさせてくれるのです。彼の曲は、、、、、。
(P.S.)たったこれだけの文章で、万が一、彼に興味を持ってくれた人がいたとしたら、まずは、
伊勢 正三 official site
に行ってみてください。
かれの最新アルバムのストリーミングも長めに聴けます。
それでもって、もしも、気に入ったら、CDを買ってみてください。
◇潔い敗者に惹かれるのはなぜだろう?
ぼくは、実は、歴史が好きなんです。それも、16世紀以降の日本史が好きです。
特に、真田 幸村、河井 継之介に惹かれます。敗れるとわかっていても、自分の信念のために、
周りの人のために、潔く戦ったところに、大きな大きな人間力を感じます。
あと、史実には、あまり記録が残っていませんが、雑賀 孫市という人物にも、とても興味が
あります。
時の権力(織田 信長)に立ち向かった勇気と知恵に惹かれるのかな。
この三人に惹かれることと、自分の人生観、価値観が、びしっと合致しているかと言われると、
うまくことばで説明できない部分もありますが、、、、、。 尊敬する歴史上の人物って、いうのとも
ちょっと違う気がします。 むしろ、生き方として共感できる人たちといった感じでしょうか、、、。
僕は、日ごろ、あまり、歴史の話をしないので、意外に思われた人も多いかと思いますが、
よろしかったら、こういうのも、読んでみてください。 小説としても、十分おもしろいと思いますが、
「自分の小ささ」を知るのに、たまには、歴史ものもいいですよ。
とは言え、上記の3名は、ちょっとマニアックかな? 興味があったら、まずはネットで調べて
みてください。
(P.S.)特に、河井 継之介さんのことを書いた司馬 遼太郎さんの「峠」は、読みやすいと
思います。
(新潮文庫から上・下巻で出ています)
以上、えらそうなことをいろいろと書かせていただきましたが、僕もまだまだです。
これからも、どうぞ、よろしくお願いします。(ペコリ)
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