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生きかたのこと 2

最初に「いきかた」のことを書いてから少し時間が経ちました。
このテーマは、ぼくの中で泉が湧き出るように、少しずつ少しずつ出てきます。


◇幸せの法則

まず、健康であること。(できれば睡眠を十分にとること)
心が自由であること。
自分に正直でいること。
感謝する気持ちを忘れないこと。
人を思いやること。
「目に見えないこと(もの)」をたいせつにすること。

そして、「幸せ」だと思うこと。

そうすれば、もう、ほとんど幸せなはず。

シンプルに考えること。
自分を楽しむこと。
自分で考え、自分で決めること。
自分のまわりを大きな視点で見ること。

そして、「幸せ」は心の中にある、と気づくこと。

そうすれば、とても幸せなはず。

以上、ぼくの「幸せの法則」。


◇心は自由ですか?

しごとをがんばるのもいいでしょう。
でも、心は自由でいますか?
誰にも、何にも束縛されない「こころ」を持っていますか?

ある程度の時間を、しごとに使うのは当然のことです。
でも、「時間」に引きづられて「こころ」まで拘束されていませんか?

こころは、あなたのものです。
誰のものでもありません。
こころの自由さと精神的な余裕は、相関関係にあるはずです。
こころが自由でないと、プラスの発想が生まれないはずです。
知らず知らずのうちにストレスがたまっていくはずです。
人にやさしくできなくなるはずです。

だから、もっと、こころを自由にしてあげましょうよ。


◇心のバランスをたいせつにしていますか?

心のバランスをたいせつにしていますか?

人は、しごとで疲れたからだと心を、ゆっくりと休めることによって
からだと心のバランスを保っているのだと思います。

一日一日の疲れは、夜、自分の家でとるのがベスト。
一週間単位の疲れは、週末にとれたらいいですよね。

でも、時として、こころのバランスよりも、からだのバランスを保つことが優先されて
いませんか? こころのオーバーホールを忘れていませんか?

しごとで、自分を、肉体的にも精神的にも追い込んでいませんか?
もしそうなら、肉体的な疲れをとるだけじゃだめなんです。

もちろん、からだのバランスがとれれば、こころのバランスにも、いい影響をもたらすと
思います。 けど、こころの疲れがとれないと、新しい一日や新しい一週間のこころの
パフォーマンスが落ちてしまうのでは?

音楽でも、家族との会話でも、おいしいごはんでも、少しのお酒でも、デートでも、
何でもかまいません。 あと、いい意味で、何も考えない、自分のこころを解き放つ時間も
必要だと思います(僕は、こういう時間をとてもたいせつにしています)。

もっと自分のこころをたいせつにしませんか?
もっと意識的にこころのバランスを整えませんか?

「ONとOFFのきりかえ」をもう少し意識しませんか。
慣れてきたら、意識しなくても、自然にできるようになるはずです。

もっと言うと、会社=ON、家=OFFというわけでもないと思います。
僕の場合、会社にいる時にも、ONとOFFが存在します。
興味があったら、トライしてみてください(でも、やり方は自分で考えた方がおもしろいですよ)。
おかげで、会社の中でも、こころのバランスを保てるようになりました。

会社を出る時にストレスがゼロだったら、それだけで幸せ。
帰りの電車も、家に帰ってからも、もっと幸せなはず。


◇シンプルに生きよう。

毎日、ものごと、複雑に考えていませんか?
もっとシンプルに考えたら楽ですよ。

でも、シンプル=単純 ということではないですよ。
ものごとの本質を、自分に正直な気持ちで見る、ということです。

難しく考えず、びくびくせず、かと言って、いいかげんに考えず、自分を信じる。
ものごとの本質を見る。 手にしたいゴールをイメージする。
そして、いちばんたいせつなのは、じぶんのほんとうの気持ちを知ることです。

そうすれば、シンプルに考えられるはず。
そうすれば、悩まずに生きていけるはず。

つらく見えることも、シンプルに考えられれば、思ってたよりもずっと
「かんたん」なはず。あなたは、もっと「だいじょうぶ」なはず。


◇決断しよう。そして前に進もう。

自分のことは、自分で決めていますか?
たいせつなことを、人に決めてもらっていませんか?
自分の気持ちに嘘をついたり、気づかないふりをしていませんか?

若いときから決断の回数を増やしましょう。
決断するクセをつけましょう。
そうすると、決断のレベルとスピードは、必ず上がります。

僕は、悩んだら、「前に進む」という(自分なりの)ルールを決めています。

人は、そもそも、なぜ悩むのか?
それは、問題のまわりをぐるぐるまわっているから。
時には、本質に近づくのが恐くて、わざと近づかないってこと、ありませんか?

でもね。何か、問題に直面したら、その問題に立ち向かうか、逃げるか、二者択一じゃないですか?
(もっとシンプルに考えましょう)

だったら、前に進みませんか?

時には、その問題になぎ倒されるかもしれない。
けど、いいじゃないですか。
自分で決めたプライドがあなたを支えてくれるはず。
生命までとられることはないでしょう? 
心の前にできる傷は、いつかあなたのプラスになるはず。
心の前にできる傷は、きっと治ります。

問題から逃げて、心の後ろにできる傷は、あなたの後悔のしるし。
それは、タトゥーのように一生残るもの。
そして、あなたの成長を助けてくれることは少ないはず。

問題から逃げないといけないときは、誰にでもある。
ただ、そんな時だけ、「人間、引き際が肝心」ということばを、
自分の都合のいいふうに解釈しないでほしい。


◇最近 泣きましたか?

いちばん最後に泣いたのはいつですか?

悲しい涙や悔しい涙のことではありません。
うれしい涙、感動した涙のことです。

それまでの努力が報われて、うれしい涙を流しましたか?
大好きな人とわかりあえて、いい涙を流しましたか?
友だちの話や小説、映画に、感動の涙を流しましたか?
こどもと手をつないで夕日の中の帰り道、じ〜んときましたか?

その瞬間は僕たちの日々の暮らしのなかにあるのに、僕たちが気づかないで
いるだけかもしれません。 わざと目を閉じている場合もあるでしょう。

もう少し感度を高くして、こういう瞬間を増やしませんか?

歳を重ねると涙もろくなるのかもしれませんが、自分に酔うのではなく、自然に
いい涙を流せるようになりたいものです。


◇「体得」のレベル

何か能力のレベルを上げたい時、人は意識して努力します。

何も考えずに行動できるようになることを「体得する」と言います。
スポーツや職人技で言うところの「体で覚える」「体が勝手に反応する」ということ。
意識せずにできたら、それが「体得」のレベル。

じゃあ、「こころで覚える」という概念があってもいいと思いませんか?
親切、気配り、思いやり、、、、。
意識せずにできるようになりたいですね。

そのために「こころの基礎体力」を上げたいですね。
いつも、広いこころを持ちたいですね。
しなやかな心を持ち続けたいですね。


◇人が一生の間にできること

「人が一生の間にできることに限りはあるのだろうか?」

この問いに対して、あなたは何と答えますか?

Yes? それとも、No ですか?

物理的には、Yes なのかもしれません。
でも、もっと高い視点から見たら、No のような気がするんです。
いえ。No だと思いたいのかもしれません。

ぼくは、サッカーが好きです。
サッカーでは、よく「フィールドいっぱい使ってプレイする」ということばが
出てきます。
人の生きかたも、同じじゃないのかな?って、思います。

ちょっとキザかもしれないけど、人生っていうフィールドをいっぱいに使って生きると、
次の世代や未来に何か受け継がれると思いませんか?

自分がなし得なかったことを、別の誰かが自分の意志を受け継いで、実現してくれる
こともある。
自分が始めた何かが、どんどん広がっていくこともある。
そう考えたら、人ができることって、無限だなって思いたいんです。


◇ことばをたいせつにしていますか?

ぼくは、今のしごとをしていてよかったと思う。
ことばを消耗品として考えないから。

ことばは、自分の思いを伝えるためにあるもの。
ことばは、人の思いを受け取るためにあるもの。

ことばより、行動がたいせつだとも思う。
ことばより、気持ち、愛、魂がたいせつだとも思う。

でも、ことばでないと伝わらないときもある。

ことばをたいせつにしている人は、じぶんの行動もたいせつに
している人だと思う。

ことばをたいせつにしている人は、まわりの人をたいせつに
思える人だと思う。


◇いのち

「院内学級」ということばをごぞんじですか?

病気で学校に行けないこどもたちのための病院の中にある学校のことです。

入院中だけ(たとえば数ヶ月)院内学級に通うこどももいますが、
中には院内学級にしか通えないこどももいます。
そう、生まれてから死ぬまで病院から出られないこどももいるのです。

ぼくの娘が小さいとき、喘息がひどくて、たびたび入院していた病院にも
院内学級があり、たまたまその存在を知ることができました。

院内学級のこどもたちは、きっとふつうの小学生や中学生よりも、学校のたのしさ、
ともだちのたいせつさ、健康のありがたさ、そして、いのちの尊さを知ることが
できたでしょう。

長野県にある院内学級のこどもたちの作品を集めた「電池が切れるまで」という
本があります。
タイトルの「電池が切れるまで」というのは、当時小学校4年生の女の子が書いた詩「いのち」
からとった題名です。

その子は、人間の命を電池にたとえて、「いのち」という詩を書きました。
「いのちはとてもたいせつなものだ。だから、わたしは電池が切れるまでせいいっぱい生きよう」
と綴られた一節がいのちと直面した人間にしか書けないことばとして表れたのだと思います。
もしかしたら、神様がこの子を通して、みんなに送ったメッセージかもしれません。


◇おまけ:ぼくの好きなことば

遊びをせんとや生まれけむ。

 僕なりに言うと、自分を楽しむということ。
 遊び心のない人生は、幸せじゃないと思う。

神は細部に宿る。

 「生きかたのこと Part1」にも書きましたので、詳しくはそちらをご参照ください。

 要は、目に見えない部分までベストを尽くせば、神はそこに宿る、という考え方です。
 やっぱり、人間、少しは、ストイックじゃないとだめかな、と思います。

あとの祭り。

 自分への戒めのことばです。
 自分で決めたことは、いかなる結果も受け止めよう。
 人のせい、運のせい、社会のせいにするのはやめよう。

 後悔するくらいなら、そんなことしなければいい。
 身にならない反省なら、しないのと同じ。



ということで、まだまだ発展途上の身ながら、またまた偉そうなことを書かせていただきました。
これからも、どうぞ、よろしくお願いします。(ペコリ)


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