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生きかたのこと 6

「生きかたのこと」 Part 6 は、Part 5に続いて、ブログ(mixi=ミクシィ)の
方で書いた文章を加筆・修正したものです。


◇ icebeaker

 【icebeaker(アイスブレイカー)】
 もともとは、砕氷船とか、砕氷器という意味。
 転じて、緊張・堅苦しさなどをほぐす言葉[人,行為]を指す。

 しごとでも、プライベートでも、icebreakはたいせつだ。
 初対面の人たちが集まったとき、(知ってる人の集まりでも)
 緊張感が高まっているとき、気の利いたicebreakerのひとことで
 コトがうまくまわりはじめる。

 たとえば、こどものころ、社会見学とかで、誰も質問しないと、
 相手の人がかわいそうに思って、僕は、不本意ながら、icebreak
 することが多かった。

 今でも、沈黙に弱い僕は、ムードメーカーとしてではなく、
 沈黙に耐えられなく、icebreakしてしまう。

 ただ、僕の場合、みんなのためではなく、関西人の血が出て
 しまうのかもしれない。

 とは言え、最近は、様子を見て、氷を割ることにしている。
 大人になると、割らない方がいい氷もあるみたいだ。
 どうせ溶ける氷なら、早く割っちゃった方がラクなのにな。
 と、心の中では、いまだに思ってるけど。


◇自分

 自分を好きだからがんばれるパワーと
 好きな自分になるためにがんばれるパワーと
 どっちが強いんだろう。

 自分を信じてるから出せるパワーと
 自分を信じきれないから出せるパワーと
 どっちが強いんだろう。

 自分を好きパワーも、自分を信じるパワーも、
 みんな、ふたつの自分(好き or not、信じる or not)を
 バランスしてるのかな。

 それとも、歳を経るごとに、どちらのパワーも、
 どちらか(好き or not、信じる or not)になっていくのかな。

 この問いに答えはなくてもいい。

 でも、どちらも、パワーダウンせずに歳を重ねたい。


◇ 予定

 朝、起きたとき、その日 一日の予定が決まっていると、
 ほっとしますか?

 毎日が忙しいほうがいいですか? ひまな方がいいですか?

 口では「忙しい。忙しい」と言いながらも、忙しさを楽しんでる人って
 けっこういますよね。
 そこまではいいと思う。 だけど、中には、空いてる時間にどんどん
 予定を入れちゃう人もいる。 こういう人たちって、予定が入ってないと、
 不安になっちゃうのかな。

 冷たい言い方に聞こえるかもしれないけど、僕は、「義理」とか
 「付き合い」で予定を埋めることはしない。 予定を入れるか、
 入れないかの判断基準は、「損得」ではない。 相手のためと
 自分のためになるかどうか。 全部が全部、1か0かで決められない
 けど、少なくとも、こういう合理的な判断基準を持っている。

 忙しい時間を楽しむこともたいせつだけど、ひまな時間を楽しむことも
 同じくらいたいせつだと思う。

 しごとも、プライベートも、予定がないことが悪いことじゃない。
 「何もしない」という予定も、あったほうがいいと思う。
 からだのためでもあるけど、こころのために。


◇ リーダーシップ

 生まれつき リーダーみたいな人がいる。
 ま、これは、足が速いのや、絵がうまいのと同じで、ひとつの
 才能としてみるべきだと思う。

 ほとんどの人は、後天的に、リーダーシップを身に付けなければ
 いけない。 で、試行錯誤する。 
 時として、リーダーの役割を勘違いして失敗する。
 で、グチをこぼす。「私は、こんなに一生懸命やってるのに」と。

 リーダーって、指図するのがしごとじゃないと思う。
 ムードメーカー的なリーダーもありだし、まわりを信じてまかせる
 リーダーもありだと思う。

 実を言うと、僕は、リーダーシップということばがあまり好き
 ではない。
 何か、優等生みたいな、管理的な響きを感じてしまうから。

 僕は、公私ともに、何か、リーダー的なことをやらなければいけない
 時は、リーダーシップではなく、「キャプテンシー」をこころがける
 ことにしている。
 何となく、上下関係とか、命令とか、管理って匂いがしないような
 気がするから。

 スポーツでも、キャプテンって、試合に出るじゃないですか。
 リーダーって、コーチとか監督に見えちゃうんですよ、僕には。
 キャプテンは、みんなと同じ目線で決断できる人だと思う。

 リーダーシップ と キャプテンシー。
 似たようなことばだけど、僕には全然違って見える。


◇ なりたい自分

 昔は、強い自分になりたいと思った。
 多少 近寄りがたい雰囲気はあっても、鋭いナイフのような
 研ぎ澄まされた存在になりたいと思っていた。

 その頃は、越えなければいけないものも多かったので、
 「気持ちで負けないでおこう」と思って、自分を奮い立たせていた。

 そうして生きたことはまちがいではなかったと思う。

 でも、少しずつまわりをマクロに見られるようになって、
 まわりの人への感謝をおぼえはじめたら、こころがやわらかく
 なってきた。

 角がとれた。とか、丸くなった。というのとは、少しちがう。
 うまいことばが見つからないのだけど、「ふわりとした人」に
 なりたいと思った。 いろんなことをふわりと受け止められる。
 そんな感じで生きていけたらと思った。

 まだまだ、怒ったり、へこんだりすることもあるけれど、
 今、なりたい自分は、そんな感じ。かな。


◇ どっちの夢

 「夢は実現するためにある」

 「夢は実現しないから夢なんだ」

 あなたにとって、夢とはどっちですか?

 もちろん、どっちの考えもありだと思います。
 あと、夢のスケールによっても、違うしね。

 でもね、こどもの頃やハタチの頃に比べて、夢の数が
 どんどん少なくなっていくのは悲しいと思いませんか?

 夢だって、補充しなきゃ。
 ばかばかしい夢だっていいと思う。
 夢を持つことで、がんばろ、って気になるじゃない。

 僕は今、最初に書いたふたつの夢の真ん中くらいの夢を追っています。
 真ん中くらいの微妙な感じを楽しんでいます。

 ほかにもいっぱいありますよ。
 叶いそうな夢も、叶ったらいいなと思う夢も。

 夢を持つのに遅すぎることはない、と思います。


◇ 想像力

 人生に必要なものはいっぱいある。
 目標、友だち、経験、運、etc etc

 でも、想像力も、すごくたいせつだと思う。
 ぼくのしごとで言うと、広告のラフスケッチを見せられた時、
 仕上がりが、ぱっと想像できるか。お客さんが、その広告を
 見たときの印象を想像できるか、みたいなこと。

 プライベートで言うと、何か、中期でやりたいことを見つけたとき、
 それを実現するための自分を、どこまで想像できるか。ということ。
 でも、シミュレーションとはちょっと違う。 シミュレーションみたいな
 現実的なことじゃない。 もっと、直感的で自由な想像。

 あと、1年後、5年後、10年後の自分を想像するのも大好きだ。
 過去の僕も、未来の僕(つまり今の僕)を想像してきた。

 想像は自由だ。 でも、無責任にならないほうがいい。
 ぱっと頭に浮かんでくる想像もいいけど、自分のなりたい
 イメージをもとに想像するほうが好きだ。

 想像は、時として、創造にも似た作業かもしれない。

 人に対する想像力、直感的/瞬間的 想像力はどうでしょう。

 たとえば、サッカーで中盤がボールを持って、フォワードにパスを
 出すとき、想像力がたいせつだと、よく言われます。
 ふつうは、ボールを持ってる中盤の選手の想像力だけを考えがち
 だけど、フォワードの選手の想像力も含むべきだと思う。

 中盤の選手は、フォワードの選手が走りこむコースを想像して
 パスを出す。 フォワードの選手は、中盤の選手を信じて、
 ゴール前に走りこむわけです。

 そう。 ほんのコンマ何秒かの間に、両者の直感的想像力が共鳴
 したときのみ、相手ディフェンスにとって、脅威となるパスが
 生まれるのです。

 サッカーに限らず、誰かと誰かの直感的(瞬間的)想像力が
 共鳴した時って、幸せな気持ちになりますよね。

 ちょっとした気遣いや思いやり、直感は、想像力の一部なの
 かもしれません。

 こうして、人は、想像力によって、より深い人間関係や幸せを
 「創造」するのではないでしょうか。

 やっぱり、想像力は、創造力なんですよ。きっと。


◇ 未来の過去

 「今」は、「未来」から見れば「過去」ということになる。

 僕は、時々、未来からの視点で、過去としての「今」を見る。

 たとえば、今、最高だと思える環境でしごとをしていると
 しましょう。 だとしたら、僕は、何年か先に、今の環境を
 どう思うだろうか?という視点で考えちゃうんですよ。

 すると「あと2、3年したら、あのころがいちばんよかったなあ」
 なんて振り返るのかな、なんて思えてくるわけです。

 その結果、もっとまわりのメンバーに感謝しなくちゃなあ、とか、
 今をもっとたいせつにしなきゃなあ、と思うことしばしばなのです。

 ちょっと、まわりくどいやり方かもしれないけど、どうでしょう?
 過去を振り返るのではなく、未来から今を振り返るというのは。

 10年後の自分が今の自分を見たら、どう思うでしょう?

 そして、逆を言えば、過去の未来も「今」なわけで。
 20歳のときのあなたが今のあなたを見たら、何て言うでしょう。


◇ 人を信じるということ

 人を信じられるのは、幸せなことだ。
 信じられる人の多い人は、とても幸せだと思う。

 人に信じられるのも、幸せなことだ。
 信じてくれる人が多いのは、とてもありがたいことだ。

 人をむしょうに信じてみたくなることがある。
 人恋しい、という感覚とは、少し違うけど。

 人を信じたい、というのは、自分を信じたい、という
 ことにも通じるのかもしれない。

 反面、心のバランスがくずれるのは、人を信じられなく
 なったとき、人に信じてもらえないと感じたときなんじゃ
 ないかと思う。
 自分を信じられないときも、そうですね。

 人を信じて、得られる結果よりも、人を信じることそのものに
 意味があると思う。

 明日も、人を信じたい。 感謝したい。


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